明治座はその名の通り明治28年に建てられた劇場建築です。
明治、大正、昭和初期までは村歌舞伎、旅回りの芝居、青年部の弁論大会や演劇大会を催し下郷神社の神楽の夜は必ず催し物があって隆盛を極めた。
戦争勃発以後は倉庫として使用されたが、戦後明治座保存会が発足すると同時に、再び映画や旅回りの芝居も盛んとなり、同時に村歌舞伎も復活した。
昭和47年7月12日に岐阜県の重要民族文化財に指定され県をはじめ、村(当時の加子母村)や地元の補助を受けて修繕が行われた。
※現地看板より抜粋
明治座さんへ来たのはこれで2回目になります。
1回目は3年前。平成の大改修が完了した際、建築士会の伝統構法研修があり、その際に施工側の色々なお話を伺いに来ました。
そして今回2回目。あれからどう変わったか(見た目的に)かな??くらいの感じで訪れた訳です。
3年経つと最も変わるのは木肌の色。。。
この建物は大改修によって瓦葺き屋根から板葺屋根に戻されています。
ここが一番の変化・・・三年前の状態というと・・・
全然違いますね~~
3年前は屋根のみ妙に新しくて浮いていましたが、現在は柱や壁の木材の色に近づいて落ち着いた感じになってます。
そして中に入りますと・・・涼しい(*^。^*)
当然といえば当然なのですが、中は特にお変わり無いようで・・・
入っていくと地元の管理されている方が案内を申し出てくれます。
私は大改修後の際に説明を受けていたので大丈夫の旨を伝えると何気に世間話が始まったのでした。
世間話の内容は割愛しますが、地元の想いと観光客側の思いの温度差、役所や専門家の方々の事など色々と貴重なお言葉を聞くことができました。
私は古い建物が好きで、会社のブログにこういった地元の素晴らしい建物を紹介しているのですが、このブログがこういった方々にとってプラスになってくれればと思っております。
見学は舞台の裏手もできまして、楽屋の通路に奈落の入り口もありました。
覗いてみると・・・
赤じゅうたんが敷いてあるので進んでみると、、、
廻り舞台の土台脇を進んだ先に階段が現れます。
これは舞台の花道に出る「すっぽん」の階段ですね。
下からは危ないので開けられませんが、上からは普通に開けて降りられます。
こういった舞台の細工に触れられるのは余りないのでは・・・
そして、建築構造萌えの方向けにこちら・・・
この明治座を支える大きな梁の仕口です。
配線がちょっと無粋ではありますが、楔が4本ってどんだけでかいねん!!
なんて思わずつぶやいてしまいます・・・
そしてこの大きな梁の上に更に大きな丸太梁が載っているんですが、それの仕口がこちら・・・
詳しくは是非現地で見ていただきたいのですが、木造でこれほどの大空間を造る為の苦労、そしてこれを明治の頃どうやって組み立てたのか、想像してみてください。
ただの村歌舞伎の舞台見学では勿体ない。そんな建物です。